むぎたんが旅立って7日が経ちました。
たくさんの方から
むぎにお別れの言葉をいただき
ありがとうございました。
お空にいるむぎに代わって
お礼を申し上げます。
祭壇に飾った
2人のお母さんたちからいただいたお花は
ほんとうにいい香りがしています。
毎朝お線香をあげ
お水を取り替えて
むぎに「おはよう」を言ってから
1日が始ります。
あんちゃんからは
美しいフォトスタンドが届きました。
あんちゃんらしい心遣いでした。
あんちゃんありがとう。
むぎが亡くなったことを
しっかり理解できるときがきたら
今まで撮りだめたお写真をじっくり見て
むぎの遺影を選びましょう。
パリスからは
おいしいスープの詰め合わせが届きました。
悲しみのなかで
あたしが何も口にできない状態なのではないかと
心配してのことでしょう。
あたり。(笑)
胸がつかえて
食べられないままでした。
暖かいスープを口にして
あなたの気持ちが伝わってきたよ。
こんなに優しくしてくれて
ほんとうに、ありがとう。
わたしたちの時間は
あの時から止まったままです。
ため息をついたり
涙したりしています。
むぎみたいないいイヌが
うちに来てくれて
しあわせだったよね。
かわいかったね。
手がかからなくて。
口をついて出るのは
むぎのことばかりです。
13日の夜
不思議なことがありました。
その日もオットとため息をつくばかりで
お昼を過ぎてから
なんとなく、どちらともなく
お墓参りに行こうと言い出し
深大寺に向かいました。
3連休の最終日だけあって
たくさんの人がご家族そろって
動物霊園にいらしていました。
こんなふうに
亡くなったあとも
大切にお参りしてもらえるこたちは
しあわせなんだな〜と
暖かい気持ちになりました。
むぎが入っている合同の納骨堂の前で
お線香をあげ
「むぎたん、そこにいるの?」
と声をかけたわたしに
オットは
「むぎはそこには、いないよ。」
と言いました。
「えっ、じゃあ、どこにいるの?」
「あいつはもう、家に帰ってるさ。」
「亡くなって3日経つと、家に帰ってくるんだって。」
と言うのです。
「ふ〜ん・・・・」
そんなこと、聞いたことないな〜
って思いながら
家に戻りました。
お夕飯のあと、お風呂に入ったオットは
「ちょっと頭痛がするから横になる」
と言いました。
そのとき
立っていられないほどの揺れを感じて
オットに
「あれっ、地震じゃない?」
と聞きました。
「いや、揺れていないよ。」
と言って
オットは寝室に行ってしまいました。
地震じゃないんじゃ
あたしが自分で揺れてるのか、
めまいってやつかなあ〜
と思い、少し横になりました。
しばらくして揺れが治まったので
PCに向かって
いただいたコメントを読んだり
サイドバーにリンクしてある
お友達のブログに
おじゃましたりしていました。
突然
パキーン
という音がしました。
それは始まりにすぎず
パキーン・パキーン
バッキーン
バキバキバキッ
と、木のしなる音というのか
木の裂けるような音が
大音響で部屋のあちこちからしました。
枯れ枝が折れる
ポキッという乾いた音ではなくて
湿った若木が裂けるような音でした。
オットも起きてくるんじゃないかと思うような
大きな音でした。
ただただ、うろたえました。
なんの音なのかさっぱりわかりませんでした。
しばらくして音が止んだあと
どう考えても不思議でした。
うちは鉄筋コンクリート造りの
古いマンションで
どこにも木は使われていません。
外は無風で
街路樹が折れるほどの強風なんて
吹いていませんでした。
その時
オットの言葉を思い出しました。
「亡くなって3日経つと、家に帰ってくるんだって。」
そのとたん
むぎが帰ってきてくれたのだと
はっきりわかりました。
しゃくりあげて泣きました。
日頃から
霊とか
生まれ変わりとか
全否定はしないまでも
どちらかと言うと
うさん臭いと思うような人間でした。
でも、あの説明のつかない
大きな音は
それは、むぎが帰ってきたとしか
思えません。
オットが起きてきたあと
むぎが帰ってきたことを知らせました。
半信半疑だったオットも
泣きながら話すわたしを見て
納得してくれたようでした。
そして、そのあと
「ちきしょ〜
なんでオレんとこには来てくれなかったんだよ。
やっぱり、おまえが好きだったのは、
ままだけだったのか。
オレのことは愛してなかったのかよ〜。」
と、がっかりしたのでした。
2人して大笑いでした。
うちのお夕飯は午後6時から。
そのあとオットはお風呂に入って
お茶を飲んで寝室に行ったので
やはり音のした時間は
むぎが亡くなったときだったのではないかと
思うのです。
むぎが帰ってきてくれて安心したのか
その日以降は
あの胸や内臓が焼け付くような
ヒリヒリとした痛みは
感じなくなりました。
かなしいし
泣くけど
これはもう何日か何か月かで
癒える痛みではなく
何年か耐えなくてはならない痛みです。
心残りはたくさんあります。
だけど、むぎを失ったいま
それを悔いてもせんないこと。
そうわかってはいても
もっと、してやれることはなかったのか
あんなにツライ治療を受けさせて
苦しみを長引かせてしまったんじゃないか
答えの出ない問いを
繰り返し続けています。
それでも今は
毎日、いろんなわんこたちの
ブログを読めるようになりました。
元気なわんこのブログは
勢いがある。(笑)
読んでいて
しあわせな気持ちに包まれます。
ですから、
どうかお友達のみなさん
あななたちの、元気なわんこの姿を
わたしに見せてください。
じゃんじゃん
ブログをアップしてください。
むぎが亡くなっても
みなさまのわんこの
元気な姿を見せてください。
ずっとずっと見守っていますから。
勇気をもって、最後まで
病と闘った、むぎと一緒に。